Naegi

逍遥

虎になっちゃいそう

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日常は波のようなもので、凪いである日もあれば時化ているときもある。今日はちょっと、波風が立つ日であった。窓の外の天気も大いにに揺れていたから、ということも勘案した方がよいだろう。気象の停滞は人間を愚鈍にする効果があるのだろう。

 

言い訳することが上手く、いい塩梅に他責思考なので今日の今日まで仕事のことを家に持ち込むことはなかった。これはあくまでも比喩だ。要するに、仕事での失敗によって帰宅後に項垂れることはなかったのである。問題の原因をシステムの方に求めがちな性格だが、それでも十中八九自分に非のあることはある。

 

言い訳が上手な私でも参ってしまった。が、暦を調べて今日が赤口だったこと、気象の状況が悪かったことを加味して、なんとか気持ちを宥めることができた。

 

漫然と、帰途につく。心ここに在らず。危うく車に轢かれそうだった。拍車をかけて不注意を発揮してしまった。歩くのも下手だし、車の運転も下手だ。

詩の効果は、世界を読み替えることだと思う。仕事においては秩序が基盤となり、明白な基準が重宝される。が、こうしたものに対する誠実さは、うまく線引きしなければならない。下手すると強迫神経症になってしまう。そのために詩を読まなければならないのだと思う。スタンダードに合わせにいかなければならないという思い込みは、勤務時間内だけで充分だ。

 

こんなことを考えているので、通勤と退勤時には詩を作っている。勤労者の心象風景というべきか。先立って勤労感謝の日を言祝いでいるといってもよいのだ!

 

読み替えよう、世界を。私を束ねないで…というアレである。

 

詩を生き延びる術として取り入れようとした矢先、中島敦山月記を思い出し、暗澹たる気持ちになってしまった。

 

うだつの上がらない官僚の話だ。しかも、詩人として名をなすことを夢見て、プライドと執着が相まって虎になってしまった話。高校2年生にはわからないでしょうね。大学院で中途半端な修論を提出した果てに、新卒で入った組織では失敗のスタンプラリーを巡っている私が、詩を描く。私は虎になってしまうのかもしれない。