今日も朝はしゃきりと起きて、朝日を浴びて、タスクをこなせると思い込んでいたが、現実は逆。
朝起きたら睡眠不足でちょっとめまいがした。
起きたら治った。
英語を話す。発音はだいぶマシになった。
どうにもならなくなったときに助けてくれるのは語学力だと思うので、ここにはこだわりたい。ただ語彙がやっぱり幼稚というか、アカデミアでふさわしい語彙がまだ定着していない。
やり方としては二つある。
①英検一級あるいはTOEFL、IELTSの単語帳から実例を引き、できれば言い換え表現と共に暗記する。
(英英辞書から意味を引くのも好ましい)
②とにかく量を読む。無料のウェブ記事でもアカデミックライティングはいくらでも転がってるので、それを頼る、
地道な作業しかないんだよな、まぁうまく言葉を操れていない自覚はあるのでそれなりにやっていこう。
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は
就活の足音が近くなってきた。
目下の課題はウェブテストだろう。
頑張って青い本をこなしたい。
あーーー②年前もこれでだいぶ落ちたんだよな。わたし。
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大学卒業しても結局生活は変わらず、入学年の2018と何ら変わらない生活が続く。
でも、本当に変わらなくて良かったのは友人の存在。一年生の時から仲良い友人たちが今もなお仲良くしてくれるのは本当にありがたい。
ちょっとした場面がきっと大学生活を色づけてくれるのだろう…この生活が続くのは本当に素敵なことだ。久しぶりに私は充足感を覚えて日々を送っている。コロナで失われた二年が戻ってきた感じ。
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今日議題に上がったことを考える。
日本における「外国人」のステレオタイプを利用したお笑いはオリエンタリズムなのか。海外からの目線を内面化すること自体はどうなのか。
私見ではあるが、「憧れの」西洋人が日本大好き「外国人」を演じること自体に力の不均衡は生じないと思う。むしろ、こちらの対西洋コンプレックスによって売れているのだから、こちらのステレオタイプを考える必要があるかもしれない。
俗にいう「日本スゴイ番組」は西洋人が日本を称賛するという構図で成り立っているのだから、まずはこの観点を考えなきゃいけないだろう。
まぁ、結局のところセルフイメージは外部からの視線によって成立するって結論に帰着されるのだろうなぁと思ったしまう。それぞれ良い点悪い点はあるだろうが、まずはステレオタイプの存在を意識してから、とは思う。コンテンツを何も考えずに消費しないこと。一回立ち止まることが大切なのかもしれない、と思った。
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変わるもの、変わらないものいろいろあるが、今のところ私は私の生活を愛せているのだから幸せだと思う