Naegi

逍遥

無印になりたかった私

無印良品のような夢を見た。

当たり障りのない夢で、夢から覚めたらすべてを忘れ去ってしまう夢。

 

かつて、私は無印良品のような人物になりたかった。

スペックに文句なし、見た目に文句なし。そして、余計なことを言わない。

そんな人物に憧れていた。

 

 

しかし、現実はそうはいかなち。

ショッピングモールの一隅にある無印なんかにはなれない。  

 

郊外にあるディスカウントストア、だろうか。

一部の層には煙たがられるような存在。

「あの店?私はあの店で買い物するような生活レベルではないわね」と言われてしまうような「あの店」。

 

 

あの子は繊細だから。

発言には気をつけて。

 

担任は私のいないところで、他のクラスメイトにこんなことを言っていた。

 

もちろん、私について、だ。

 

 

事情を説明する。

 

 

小学5年生のある時、私は何も前触れもなく、クラスメイトの一部からばい菌扱いされるようになった。

近寄ると、避けられる。

たったそれだけだった。

 

でも、その行為自体は私の自尊心を破壊するのに十分すぎるくらいの威力を発揮していた。

 

「私は、ばい菌のような存在なのかもしれない」

とも半ば本気で思っていた 。

 

これを相談すべきか迷ったが、何かの拍子で親に勘づかれ、この話が学校側に伝わることになる。

 

 

あら、そうなの。このクラスの男子が……最低ね。

大丈夫、安心して。私がガツン!もと言ってやるから。

 

と当時の担任は声をかけてくれた。

 

この教師は中年の女性で、情熱にみなぎっていた。

とにかく熱く、テンションが高かった。

私からすると、すこし苦手なタイプだった。

 

本当にその先生はクラスの男子を廊下に集めて「ガツン!」と言ってくれた。有難かった。

 

ただ、問題は次の発言にあった。

 

声を小さくして

「あの子は繊細だから。発言には気をつけて。」

 

正直、ばい菌扱いされた時よりも衝撃は大きかった。 私って扱いにくい人間なの?と疑念に思った。

 

ばい菌扱いされて傷ついた事を相談しただけなのに、「繊細」と言われ、「発言には気をつけて」と言われる筋合いはない。

モラルが疑われる発言をしなくていいだけで、普通に接してくれる分には構わないのだ。

 

疑問と悲しさが渦巻いていたが、どうでもよくなり、無心で涙を流していた。

 

あの出来事から10年経った。

 

果たして私は本当に扱いにくくて繊細なのだろうか。

 

確かに、声を上げる人間は煙たがられるかもしれない。

学校側からしてもいじめなんてない方がいいのだから、「いじめられてます!どうにかしてください!」と相談する生徒じゃない方が良いのかもしれない。

 

しかし、私は傷ついたことを「傷ついた」と発信したに過ぎない。当たり前のことだ。

 

 

……少し前まで続けていた塾講師のアルバイトで、この思いが蘇った。

 

 

生徒の中には私と同じようなタイプは確かにいた。

ただ、そのような生徒に対しても同じく「繊細な生徒」と引き継ぎメモに書いてあった。

 

その子は本当に繊細なのだろうか?

 

小・中学特有の周縁の生きにくさに辟易して「学校に行きたくない」と言っているだけなのに、「学校に行きたくない=繊細」と思われるのは腑に落ちない。

 

だいたい、中心にいる人たちは好き勝手やってるのだし、合わない人にとっては本当に合わない。

 

学校という場所の暴力性についてもう少し考えた上で、その子が本当に繊細かどうなのかを確かめたいと思う。

 

学校で息苦しい思いをしている子たちが少しでも楽に、学生時代を乗り切れたらいいなと思う。

 

場所を変えれば、生きにくさなんて感じなくなる。

きっと、そこでは「繊細」という暴力的なラベリングがなされることはないのだから。

 

梨木香歩西の魔女が死んだ」において、不登校の孫娘に対し、祖母が贈った言葉を引用して結びとする。

何度この言葉に救われたことか……。

 

「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマをせめますか」

 

ーー

最近のブログ、「不幸自慢」みたいかもしれないけど、過去のモヤモヤから思うことは発散したい。

これから進路を考えるにあたって、絶対必要なことだから。