今回の記事内容は端的にいうと「過去のトラウマとそれに対する”お気持ち表明”、そして将来への展望」です。
長袖のシャツがちょうどよいくらいの温度になった。
秋。
秋はノスタルジーって決まってる。
過去のことをぶり返しては、煮え切らない感情が渦巻いてどうしようもなくなるので、ここで書いてしまおう~~~~っていう勢いで記事書いてます!!!!!
その実、私のアツいシュウショクカツドウ、シュウカツ!のために”自己分析”をしなくてはいけないのだが、過去のトラウマ掘り返しイベなので本当にしんどい。
(全然関係ないのだが私のアツいアイドル活動、アイカツ!熱が再燃してきてヤバい、Nizi proにハマり、”アイドル”という概念の尊さに生かされている…書き方完璧にオタクです)
昨日、友人と高校の話をしたらめちゃくちゃ盛り上がり、「地域関係なく高校時代にありがちなことってあるよネ~~~」って結論に落ち着いた。
主に、進路指導のやり方とかなんだけど。
高校時代に感じていた屈折した思いをせっかくなので書こうかな☆とか思ったので、書きます。
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高校生というより、中学時代からもちろんコンプレックスを抱いていたのだけど(普通にいじめられていたので)、まだ解消されていないので書いておこう、
中学時代は、本当に理不尽な理由で心無い言葉をかけられたり、ばい菌のように扱われたりと辛かった毎日を過ごしていたんだよね。あまりこのことは人には言ってないけど。
(これについても、じっくり今度記事にしたいと考えている。今は精一杯、その経験と向き合っています)
忍耐力はあったので、「こいつらのせいで不登校になって第一志望の高校に合格できないなんて許せない!私は大学まで行きたいんだッ!学校に通ってやる~~~~~怒」っていうモードで何とか乗り越えられた。
親や先生、友人に泣きついたりと周りの人に助けられながら、という感じだったので、本当に感謝してもし足りない…。
無事、中学校を卒業した後、第一志望の高校に進学した。
高校に進学して驚いたのは、悪口で友情を深めるという無粋な人間関係が存在しなかったこと。クラスメイトは本当にいい子が多くて、「私も楽しい学生生活を享受しても良いんだ」と思った。
…とはいえ、高校時代、控え目な性格が災いしたのか、長い前髪+眼鏡という見た目が災いしたのか、「根暗」という印象を持たれることが多かった。
今、高校時代の写真を振り返っても、「うわ、、暗いわ」という感想を持ってしまうほどだったから仕方ないことなんだけどね。
だからなのか。
2年に進級してからというもの「人間関係を構築する」ということがほとんど出来なかった。クラスメイトは恐らく「あんま関わらんとこ~~~」と思う人物として私と接していたと思う。
確かに、私はいろいろダメだった。
運動音痴でコミュ障。根暗で地味。
でも、こんな陰キャが道を開くためには”勉強”はしなくてはいけない、というような強迫観念に苛まれ、ひたすら勉強していたように思う。
アイカツとポケモンとテクノを愛し、ひたすら勉強に励む陰キャでしたネ(^-^)
(因みに、高校3年生の頃はクラスメイトともかなり打ち解け、楽しい学生生活が送れました~~~~!同窓会も楽しかったし、高校同期ラブです!!!!)
ただ、教師から言われた
「勉強さえできれば、人間関係が上手くできなくてもいいでしょ(笑)勉強頑張って見返せばいいじゃない」
「いつも『難関大学を目指そう』と提案しているものの、実際は勉強が出来ても、器量が悪ければ世渡りできないからね。コミュニケーション能力が一番大切だよ(笑)」
という言葉は今でも引っ掛かっていて、たまに悪夢のようにフラッシュバックしてしまう。
この言葉を発した教師のパーソナリティを批判したいわけじゃない。
でも、この言葉の背後にある固定観念というものに対しては批判的な眼差しを向けている。今もなお。
私の出身校は難関”国公立”大学進学者を出すことに躍起になっていたので、当然のように優秀な学生に対しては囲い込んで手厚いサポートをしていた。
当初、私は箸にも棒にも掛からないような成績だったので、先生に名前を憶えてもらえているかどうかも怪しかったと思う。
しかし、高3の頃、模試の成績が上がったところ、先生から今までにないくらい期待を寄せられてしまった。
(誤解なきように言うが、先生からの手厚いサポートを受け、志望に合格できたということは忘れていない。面談や添削を何度も繰り返し行ってくれた母校の先生には感謝している。ただ、違和感は感じたので書いています。)
「○○大目指しなよ」
「私の行きたい研究室はそこにはなくて志望大にはあるんですよ。○○大は二次試験の受験教科とも相性悪いです」
「今からだったら間に合うよ。頑張れ!」
というやり取りがなされたが、私は先生に従おうとは全く思わなかった。
「あなたの成績なら、目指してもいいんじゃない?というか、ここで上を目指さなかったら、絶対後悔するよ」
と何度も言われたが、方針を曲げる気など微塵もなかった。
なんというか、進路指導というものが誰のために行われているのか疑問に思った。
「○○大合格者を出す」という目標のもとで進路指導が行われているように思えてならなかった。
卒業後も、「なんであの大学目指さなかったの!」と冗談を言われた。どうでもいいけどね、、
私としては、進学した大学を選んでよかったと心の底から思っているし、後悔は一切していない。
でも。でも。心の底には違和感が残る。
繰り返すようだが、私は母校やその教師を嫌っているわけではなく、むしろ感謝している。それに、私は行きたいところに行けた。
なのに、なぜ違和感が拭えない。
上手く言語化できないので、またの機会にじっくりと書こうと思います。(逃げ)
「自称進学校」という言葉が頭をよぎったので、この記事を引用しよう。
高校生向け新聞「高校生新聞」の記事の以下の見出しを見てほしい。
すべては進学実績のため? 先生が国立大学をとにかく勧める
(最終閲覧日:2020年10月7日)
うわ、これだ!(笑)と思ってしまった。
多くの高校で蔓延る「国公立信仰」というものは、一連のもやもやに繋がるのではないか、と思う。
ちょっと頭の中の整理がまだなのでまたの機会に書きます。
まぁ、この感情は大学に進学して楽しい毎日を過ごしたら風化してしまったんだけどね(笑)
進学後、母校を訪問したら「憑き物が落ちたように明るくなったじゃないの!」と学年主任の先生に言われてしまった(笑)
この先生には、一度心の中に抱えていたことをこっそり教えたので、ずっと心配そうに見守ってくれたんだよな。。。(´;ω;`)
コンプレックス的な話をしようと思ったら、進路指導に対するぼやきを書いてしまった。
今後の展望も書くことにする。
現在、就職活動をしている身として、一応「就活の軸」なるものはあり、それに沿って企業のインターンに応募したりはしている。
とはいえ、私の人生は御社の機動力になるためにあるわけではないので、「人生の軸」というものもある。
その「人生の軸」の1つは「発信する」ことである。
私は、文章を書いたり、人と話したりと、何かを「発信」することに楽しみを見出している。
今後も、いろいろと文章を書いていきたいなあと考えている。
先述したが、この言葉がフラッシュバックすると胸が痛む。
「実際は勉強が出来ても、器量が悪ければ世渡りできないからね。コミュニケーション能力が一番大切だよ(笑)」
という言葉。
私は器量が悪い。
バイト先でもヘマをしすぎて何度も自己嫌悪に陥った。
でも、器量が悪くても楽しく生きられるってことを発信したいなあって思う。
器量が悪くても輝けるステージを見出すことが、私の夢なのかもしれない。
というわけでこれからは、過去の解消しきっていないもやもやを解消すべくブログ記事を書く予定ですっ(^-^)
乞うご期待(^-^)
( ^ω^)
余談だが、最近「のだめ」を読み直したら、トラウマに向き合い、新たな道を進む…という物語筋で、今の自分にめちゃくちゃ響きました。
「のだめ」に関するアツい!思いもまた書きたいとおもいまーーーっす!
今回はここまで。
「学生時代」や「高校の進路指導」に思うことがあれば、気軽に話しかけてください…。いろんな人の意見聞きたいです。