加美野いづみという名前を与えられ前からぼくの人生は神泉という街に結び付けられたのだろう。へその緒が切られたものの、ぼくは土地というものの緒は切れなかった。
ぼくが1人の赤ん坊から加美野いずみになった瞬間も
かみのいずみにいた。
神の泉、と書いてシンセンと読む街でぼくは生を受け、育み、そしてこの世界を知ったのだ。
9歳になって、母さんはぼくにこう言った。
いずみはね、神泉からすぐそこの道玄坂のホテルでできたのよ、と。神泉と渋谷を繋ぐ道玄坂はいわゆるラブホ街で、ぼくは当時ラブホというものの存在意義が分からなかったし、ぼくは本当にコウノトリに運ばれて生まれたのだと信じていたから訳が分からなかった。
いずみってぼくのこと?じゃないよね?
だってぼくはコウノトリに運ばれた子だもん、どうやってできるの?母さんはコウノトリにぼくをもらったんじゃないの?
ぼくは精一杯疑問を全身で表した。
母さんは時代に釣り合わず真っ赤に塗りたくった唇を歪ませて、こう語ったのを覚えている。
まだいずみは知らないのね、知らなくていい世界なんて沢山あるから。それでいいのよ、でも知らなくて恥をかくのは良くないわね。
先ず、こうのとりが運ぶなんて大嘘よ。私も信じていたけれども。
大人はずるいの。信じられないとは思うけど、おとなはこどもをつくるときにとても喜ぶのよ、つくるときにね。つくるときに感じる全身に喜びを感じるの、でもね、それを外に出すのはとても恥ずかしいことなのよ。知らないでしょ?その楽しみを隠すためにこうのとりが使われているの。こうのとりも気の毒よね。
まあ、それで、あなたが場所が誕生した場所は道玄坂なの。わかった?
生まれた病院が存在していた場所も神泉。
今は移転しちゃったけどね。
何とも言えない話である。結局何が言いたかったのかは分からない。とにかく
ぼくという存在は神泉で生まれたということはわかった。
そしてぼくは中学生になり、すこし大人になった。
母さんは相変わらずぼくに対して、身もふたもない話をしてくる。
小学生の頃はまじめに聞いていたが、うまくかわすことが出来るようになった。
ぼくが大人になったことは母親の愚痴や自慢話を距離をとって聞けるようになったということも意味するのだ。
ねえ、いずみ。いずみはどうしてモテないの?
私は1年に5回は告白されていたわよ。中にはバラの花束を贈ってきた
ギザなボーイもいたものね。わたしは高嶺の花だったのかしら、バラの
花束にも靡かなかったの。いずみも、もう少し努力すればモテるはずなのに
なんで?
と自慢交じりに外見に無頓着な私を謗ることもあった。
ぼくは心の底からどうでもよいと感じ、ヘッドホンをつけ自分の好きな音楽に耳を傾けたものだ。
とはいえ本当に中学のとき は モテなかった。
もっさりとした頭で制服もだらしなく着ていたし、調子に乗って渋谷で買った
丸眼鏡も全く似合ってなかったのだ。ぼくは所謂サブカルチャーというものに心酔していてクラスメイトが夢中になっているアイドルグループなどに見向きもせず、昔のレコードを聴くことに夢中になっていた。祖父の知り合いが渋谷でレコード屋を営んでいたものだから、そこに通い詰めていた。そんな中学生活だった。
まったく色気がなく、そして可愛げが無い。
サブカルチャーという言葉をしっかり体現できたのは高校に入ってからだ。
ぼくの高校は全くと言っていいほど校則が無かったため、ぼくは髪の毛を染めた。
制服風の服装を着てくる学生が多い中、ぼくは古着屋で買った比較的、派手な服を着て行った。自分が言うのは抵抗があるが、かなり似合っていたのだ。
ぼくは母親譲りのスタイルの良さを高校生になってやっと身に着けたのだ。
母さんはサブカルチャーをものとしたぼくに対抗して、古着屋巡りを始めたのだ。
まったく、年に不相応なんだから、と思いながらぼくはそんな母さんがとてもかわいらしく感じた。
もう、いずみはおしゃれさんになっちゃったんだから。なったというより、もともとおしゃれさんの素質があったんだとは思うけど、体が追いついたのかもね。あ~あ。モサいいずみも良いんだけどなあ。
この発言には半分の愛情と半分の嫉妬がふくまれていたことはぼくは重々承知だった。
ぼくはまあ、モテた。高校では、の話だが。
体育館裏に呼び出されボコられるかと思ったら、愛の言葉をささやかれ、
プールサイドで突き落とされるのかと思ったら、恋する気持ちをぶつけられ、大変まどった。
でもぼくに告白してくるやつは、例えるならばおしゃれな音楽を聴いている自分が素敵だと思う輩ばかりでいけ好かなかった。
ぼくを自尊心を高めるために利用するな!と内心思いながら丁重にお断りしたものだ。
このことを母さんに相談したら、母さんはこう言った。
経験って大切だからいずみがベターだと思う子と付き合ってみればいいじゃん!いずみはベストを求めすぎ。付き合ったら案外ベストかもしれないよ。
付き合うことは人生経験よ。
ぼくは利用されるじぶんが嫌だったし、自分の時間が取られることが嫌だったので、付き合う気が全く起きなかったが、深みのある大人になりたかったので泣く泣く1人のひとと付き合った。
結論から言うと、ぼくはやっぱりベストを求めてしまう、だった。
その人は一言で言うとアメリカ文学に心酔していた。
ぼくは文学的な話をすることが好きだったし、何よりその人は教養があったのだ。
その人はceroが好きだったし、ぼくもceroがすきだった。
cero聴いている自分大好き人間かと思ったが、そういうわけではなくceroに含まれている文学的意味に惹かれてceroを聴いているのだとよくわかった。
ある日、母が出張で家にいない日にその人を神泉の自宅に家を招いた。
ぼくはちょっと身構えていたし準備はしていた。
最初は一緒に世界史の勉強をしていた。仮にもぼくは受験を考えていたし、あの人も受験勉強を考えていたから、最初は勉強をしよう、と。青い教科書はぼくの部屋とマッチしているね、なんて話しながらやっていたものだから、全く集中していなかった。
それからが本当の勝負だった。
あの人が雑誌を持って床に寝そべり、ぼくを手招いた。
ああ、これはあれか、と覚悟を決めながら寝そべる。
ねえ、この詩良くない?とあの人は言う。
ぼくは覚悟を決めて電気を消した。
ちょうどよかった、と言われ胸は高鳴った。
あの人はスマホの電源を入れ、音楽を流し始める。
その音楽はceroの「夜になると鮭は」だった。
カーヴァ―の詩を朗読した曲で、あの人はこれを心底気に入っている。
今頃、このマンションの横にも鮭がいるかもね。
とあの人はぼくの耳元でささやいた。たしかに僕の家の冷凍庫には鮭が入っていたし、何なら冷蔵庫には酒が入っていたけど、全くときめかなかった。しばらくの間ぼくは無言で、
あの人はceroの音楽を聴いていた。ぼくたちはたぶん、横で寝ていたのだろうけど
心理的な距離は一気に遠のいたし、正直冷めた。
あの人は8時頃神泉駅に向かい、井の頭線に乗って吉祥寺に帰った。
ceroかよ。
母親にこの話をすると信じられないほど笑われた。
いずみには色気がないのよ、残念ねえ。わたしがいない間、いずみは絶対あの子を招くだろうとは予想していたけれどまさかねえ。可哀そうに。
その後、受験勉強を理由にあの人を振った。本当はあの日がターニングポイントになっていたが、それは言わなかった。
春が来てぼくは大学生になった。渋谷の大学に通うことになったので、
生活圏は大して変わらなかった。そういえばあの人はすごく賢い大学に行ったはずなのに、大学デビューを決めて、すぐに彼女を作り、まあいろいろ行ったらしい。友だちから聞いた噂に過ぎないが、そこでぼくの選択は間違ってなかったと確信した。
相変わらず大学生になっても仲良し親子でいる。
母は最近ミニスカートを履いているが、それほど似合ってはいない。
この年でミニスカートが許されるのは森高千里だけだろ!と言ったところ、
わたしがオバサンになることはない!と断言した。
まあ最近は皺が増えたと思うけど。
最近はtofubeatsにハマっているんだってさ。
ぼくは相変わらず大学に行っても派手な髪色だし古着ばかり着るし
ピアス何か所も開けているけど、特にどこかのサークルに属することもなく、
神泉と渋谷の間を行き来して、一日が終わる。
だって、インカレの軽音サークルはなんだかんだ出会いの場と化しているし、音楽二の次になっているもん!ダッサ!
毎日真面目に授業に行き、学校帰りに渋谷のレコード店に行って、たまに古着屋に行って、神泉に帰ってスーパーでレジ打ちをして、母さんと晩御飯を食べる。
そんな日々が続く。すごく真面目で確かな日々。とても満ちている。
結局ぼくは神泉が良いんだなあ、結局神泉じゃん。ウケるなあ。
…最近ハマっていること、それはフレンズを聴くことかな。
ぼくが神泉という地名を出すと周りの友達はフレンズの名前を出してくれる。
最初は神泉系?とびっくりしたものだ。あの巨大な渋谷から一駅飛び出して神泉に向かうなんて。昔は渋谷系なんてものが流行ったけど、神泉までに音楽が拡大するなんて、私も驚いたものだ。
夜にダンスしながらぼくは神泉駅から家まで歩く。
ぼくは井の頭線で渋谷から1駅の神泉、神の泉に住む加美野いずみ、女、19歳。
ここにぼくの人生経験を記す!
これは授業で、自分の伝記を書けって言われたから書いたのよ。
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つかれた。
cero / 街の報せ【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
tofubeats - Don't Stop The Music feat.森高千里 / Chisato Moritaka (official MV)
とにかくこの曲きいてくれればわたしもはっぴー!!